Philadelphian accusitc at Anderson Hall

アックスの音色をもう一度確かめたくて、11月1日の日曜日の午後、朝9時の電車でフィラデルフィアに向かった。11:30にボックスで上の階から下の席に交換してもらえるか尋ねたが、なかった。フィラデルフィア管弦楽団のホーム、アンダーソンホールはサヴァリッシュが引退する前に出来て、ベートーベンの9番が最後の公演で聴きに行った。ロビーにはガラス張りの外壁から秋の新鮮な太陽の光がたっぷり入り込む。近くでとてもうまいオムレツを食べた。べニューの周りはとても閑静でゆっくり時間を楽しんだ。スティルの校訂について、とても親切なレクチャーを聞いた。影響を受けた詩を読んで胸を打たれた。プログラムノートを開くと、どの曲もとても親切に説明が書いてあった。ハロウィーンの週末。ベテランのお客さんで溢れている。もう一度ボックスに尋ねると12列目の真ん中が空いたので交換してもらった。会場時間になり、ステージの横から入ると、イングリッシュホルンのエリザベス・スター・マソウドニアが、スティルのパッセージを奏でていたので、4月以来のアンダーソンの音色を眺めていたら、気が付いたのか手を振ってくれた。彼女のトリスタンの枯れた終幕の歌は今でも覚えている。木の暖かな響きがする。空気を沢山含んだ響きがする。改装されたニューヨークのデビットデフィンホールも木でできているが、空気を含んだ木の響きというよりは、音が空間に既に存在している。響きの時間差を感じさせない物凄く綿密な設計を感じるが、フィラデルフィアのアンダーソンホールは、音色の感触がそこに流れている空気に乗って伝わってくる。キャロルというアッシャーがいて、アックスについて尋ねてみたら、フィラデルフィアではとても馴染み深い様子が伝わってくる。他のお客さんにも数名尋ねてみたが、人によって違う。彼らの様子を見ていると、カーネギーやリンカンと違い、近所の公園で子供たちが入り混じって遊んでいるのと似ている。プログラムを開いて今回はブラームスの3番をやることを初めて知って焦った。ずっと同じ4番だと思っていた。席に着くと、横にボランティアをしている方が座った。直前に空いてチケットを取ったそうだ。なぜ、私よりも真ん中なのかよくわからない。今回は他にも数枚買った。席番号を目の前のチケット係に目を見て伝えているのに、その数席横の席を何度も進められた。それもよくわからない。フィラデルフィアには棘がある。フィラデルフィア管弦楽団の音色には失われてきた大切な何かが眠っている。私はそこがとても気になったので今回、彼らのブラームスを聴きたいと強く思った。しかし、2012年にヤニックとフィラデルフィアのベルディのレクエムをカーネギーホールで聴いて以来、そして、彼はすぐにマーラーの9番を演奏した。そして、私はフィラデルフィアに行くのをやめたが、今思い出すと、13年前、2列目のマリア・パブロフスカヤの前で、その友人と聴いたあのベルディがヤニックの真のアートだったんだと思うことがよくある。めちゃくちゃだった。とても強かった。今でも刻まれているからだ。そして今、ヤニックは世界ではもちろんだが、特にアメリカのクラシック産業では、ボストンのネルソンス、ニューヨークに来るデュダメルと並んで最も重要なデリジェントだ。破産申告をしたフィラデルフィア管弦楽団を再生し、アメリカの作曲家、若い才能の起用、オペラやほかのゲストとの掛け持ちと世界でも大変充実したスケジュールで活動している。特に50歳を迎えた今年は、モーツアルトのドンジョバンニやピアノ協奏曲の室内楽版から、ブラームスの交響曲、ワーグナーのトリスタンとイゾルデ、春にはブルックナーの3と8の指揮を執るため、ほぼロマン派を網羅する。さらに、新年はウィーンとニューイヤーを過ごす。彼の51年目の門出はこれからのクラシック界をどう占うのだろう。

演奏前にヤニックが放送でアックスを祝う言葉を述べた。まるでディズニーランドのガイド付きのアトラクションの様だ。聴衆たちのわくわくが伝わってくる。ヤニックは世界のマエストロだ。マエストロがアトラクションのガイド役を務めるフィラデルフィアの聴衆は、ヨーロッパの熱烈なサッカーファンなのか。スター選手でも負ければぼろくそに言われるのだろうか。メンバーは曲ごとにニューヨークと少し違っていた。スティルが始まった。まるでファンタジアの世界だった。ストコフスキーがディズニーアニメとコラボしたあの夢の世界。子供の頃見た、アメリカのトムとジェリーやトムソーヤの冒険、赤毛のアン。そういう印象が強い。カーネギーよりも親密でスティルの世界観が豊に広がる。このフィラデルフィアアコースティックはアメリカの精神に深く根ざしている。そして、その一番大事な要素はお客さんであり、オーケストラのメンバーだ。ベートーベンでは時間が止まった。周りのお客さんの意識も、隣のテーブルで食事する家族の様に伝わってくる。そして、アックスがなぜ人々に愛され続けてきたのか、その秘密が見えた。2楽章を聴いているときだった。アックスがたどってきた道を見た。人間の心がどれほど残酷か知っている人の調べだ。彼らはモーツアルトやベートーベンの心を見てしまった人たちだ。当時彼らはただ生きるために必死で曲を書いた。そして、200年以上たっても人々の心に寄り添い続けるのは、アックスの様な人間に音楽が魂を宿すからだ。ヤニックもその一人なのだ。休憩は15分だった。カーネギーでアックスが弾いたアンコールの曲が思い出せず、ブラームスが始まる前に、チェロのJiayin Heに声をかけた。彼は親切にも他の楽員にも尋ねようとしてくれたので、後でと、ベートーベンのお礼を言って席に戻ろうとすると、同じ列のはじのおばちゃんたちが、本当にお前の席かと何度も聴かれたので、あなたの席にあなたの名前は書いてあるのかと尋ねてみたら入れてくれた。私はよそ者なのだ。

アンダーソンホールのフィラデルフィアはカーネギーと違って、彼らはここのアコースティックを自分の庭にしているようだ。コンサートマスターのキム以外が全員女性のプリンシパル。コントラバス首席は黒人男性のJoseph Conyers。この方のバランスがやばかった。繊細にくっきりと、その粒や香り、特に終楽章のチェロのテーマを支えるピッチカートや、ファンファーレやコラールを支える和声の響き。もう笑いが止まらないくらいうまかった。オーボエとフルートも、響きも音色も物凄く充実している。チェロのトゥッティが、カーネギーでは前のプルトが卓越した歌を奏でてくれたが、この日は、後ろがすごかった。鮮やか、豊、そして新鮮。左は放っておいても耳に入るが、この洗練され味わい深い右のチェロとベース。そして、バイオリンと内声部。4楽章のチェロにテーマが戻ってきた時の鳴りが物凄かった。土の中に眠っていた鉱物にハンマーが合ったって響いた感じ。それは前ではなくて後ろだった。Jiayin Heたちが鳴っていた。バイオリンの駆け上がるトレモロも強烈だった。弦楽器全体の鳴りが、1楽章の終わりのグリッサンドや4楽章のコンソルディーノの前は、これがフィラデルフィアサウンドのシグネチャーだと思う。音がどんどん積まれて行って、一瞬だけ強烈な輝きを放つ。ブラームスが見たであろう神のささやき。私は笑っていた。

そしてほんの一瞬、キムの横にいたジュリエット・カンが、彼を振り向いたように見えた。あの瞬間、彼らにもブラームスの神が降りていたのかもしれない。

ヤニックは、彼らの心を瞬時に掴み、まるで現代抽象画をフレスコのように描く。感情が乾く前の、その繊細で混沌とした気持ちをすくい上げ、そのまま音楽の中に解き放つ。その軽さとスピードの中で、いくつもの物語が生まれていく。ブラック・アメリカンの詩情、ベートーヴェンの詩と余白、そしてブラームスの第3番。アメリカ=アフリカン・クラシックの原点を美しい詩情で描いたスティルから、人の心の奥に寄り添うアックスのベートーヴェン、そして現在のフィラデルフィアが奏でるブラームスを、一瞬の出来事の様に、繋げて人の心に残した。曲が終わると、彼はソリストをひとりひとりそれは丁寧に紹介してくれた。前では体験できないことを真ん中の席で沢山教わった。今回、突然フィラデルフィアに行こうと思って前日にチケットをとり、近いので移動中や食事はとてもリラックスできた。この公演では、フィラデルフィアサウンドの秘密をその壮大な歴史と体験した。実際、そこに行かないとわからないことだらけだ。帰りはすぐ電車で帰り、8時にはニューヨークでビールを飲んでいた。フィリーとヤニックのこれからに乾杯だ。